自分の器(容量と限界)を知ることで感じる幸福と平穏。人生を俯瞰して生きると楽になる。

例えば、カフェラテをマグカップに注いでも、容量をこえると溢れてしまいます。受け皿も珈琲まみれになって、テーブルクロスまでしみこんでしまいます。

コーヒーカップと同様に、自分の容量(器)というのもあります。なので、容量以上の人間関係を抱えたりすると同じ様に溢れてしまいます。

子供への執着、お金に関しても求め過ぎてしまえば、大きな苦労をするとか、子供にも煙たがられたり、得たとしても取りこぼしてしまったり、維持する分の苦労をし続けなければなりません。

それは果たして、幸せなのか、平穏なのかといえば、判断の難しい所です。

マンハッタンの一等地にすみたい、都心のタワマンに住みたいという夢を描いても、プロ野球選手になれる枠が決まっているように、そこまで大きなお金を動かす人もある程度の枠があります。

質量保存の法則で言えば、世の中の容量は決まっているからです。

おそらく、ギャンブルでもある程度の容量が決まっている中での奪い合いでしょう。結局、そのお溢れは、主催側に流れるようになっているのではないでしょうか。

でも、重要なことは、その人にとっての器を常に綺麗にして置ければ、必要なものは必要な分だけ与えられるという事でもあります。

同じコップでも、埃がついている容器より、綺麗な方の器を使うはずです。つまりは、「果報は寝て待て」とか「人事を尽くして天命を待つ」です。

そして、その人(コップ)にとって、必要な分のお金が牛乳であったり、珈琲は仕事であるとか、どんな配分、どんな飲み物、入れ物として何が合うのかという所です。コップの素材やサイズだけではなく、夏ならアイスだし、冬ならホットの方が合っています。

お供は、クロワッサンかもしれませんし、抹茶なら和菓子。場合によっては何もない方がいいかもしれません。

どうであれ、自分の方向性を知っていれば、時々嫌になったり、努力は必要になっても、焦燥感を感じる事は、あまりないでしょう。焦燥感を感じるなら、人生を二回生きる人かもしれません。

作物の場合なら、湿地で米は育ちやすく、乾燥地ではジャガイモや小麦です。それぞれに合った場所で育つほうがよく育ちます。

また、医学的には、西洋人にとっての肉食は、胃腸の面から言えば適しています。でも、アジア人にとっての肉食は、同観点からすると基本的には適していません。

影響は小さくて見えにくいです。でも、あわないものを続けていれば、大なり小なり何かが起こります。

それなら、当人にとって何が適しているのか、どんな性質があるのかを早めに知る事が、本人の人生にとってのヒントになります。

自分を研究し、身の丈以上のものを求めなければ、苦労も少なくなります。カメラで自撮りをすると外見が見れますが、占星術で見ると自分の内面(宿命)が見えてきます。

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