
幸福
幸せかどうかというのは、人それぞれでの感じ方、受け取り方次第です。
例えば、結婚して幸せな瞬間を日々感じる人もいれば、独身のまま自由気ままに過ごす人もいます。一方にとっては寂しくても、人によってはそれが心地よい場合もあります。
大きな事業を成し遂げる事に幸せに感じる人もいれば、そのサポートとして事業を裏から支える事に喜びを感じる人もいます。
算命学では、最終的には”霊魂”の望みに従って生きる事が理想とされています。
それは当人にとっては幸福かどうかは分かりませんが、霊魂にとっては幸福な事なのかもしれません。つまり、心の底から本人が望んでいる事を体現するという事が使命であり、魂にとって幸せになります。
使命への進み方
算命学での使命を生きるという事は、物質的な欲や、人間関係に対する望みを第一とするのではなく、あくまでも霊魂の声に従って生きるという事です。
算命学では、現実の場所と精神の場所を設けていて、精神の場所を目指す生き方が、霊魂の望み(使命)を知るという事になります。
その結果として、物質的な事や人間関係に関する事が使命になる人もいます。
東西(現実)と南北(精神)
算命学では東西と南北で世界を分けています。東西は地上の世界で、南北は精神の世界を表しています。この南北が霊魂の役割に関係していると言われます。
精神にかかわる事は南北を紐解く事で見えてきます。西と東は現実の場所なので、現実の幸せに関する事に気が向きます。北と南は精神の場所なので、精神の幸福に関わることに気が向きます。
天中殺(空亡)で見る
例えば、申酉天中殺の場合で言えば、これは現実の場所に馴染みのある天中殺です。
友人や社会や現実に向かって進んでいきます。寅卯天中殺の場合、家庭に向かって進んでいきます。どちらも現実の場所に焦点をもっています。
ここで、それぞれが向かう場所やその途中、望む現実を手に入れたり、逆にいろいろな苦難に見舞われたり、そうこうしている中で、現実の場所にある欲を燃焼する事で、精神の場所へ向かようになります。
でも、天中殺だけではなく、宿命の五行でも金が強い人は現実的な人であったりしますが、逆に水や火が強い人は精神的な人であったりします。
総合的に見て、最初から現実重視の人や、精神重視の人もいるという事になります。干支によっては最初に現実を満たしてから精神を満たす方向に向かう干支もあります。
人間の欲望を満たした場合と打ち砕かれた場合
人間は自分が願うものを手に入れたり、望む人間関係を手に入れた時、しばらく幸せな状態が続きます。
でも、その後しばらくすると、その関係や物に飽き始めると言われます。つまり、このように現実が全て満たされたパターンで言えば、ここから精神性を重視し始めるという事になります。
逆に、どうやっても理想とする現実に辿り着けないという心からの諦め、いわば達観のようなものを経験する事でも、精神性を見つめ直す契機になるという事です。
同時に、その使命に関する行動というのは、経営者になって、お金を稼ぐためというよりも、仕事を楽しむ事だったりとか、ある人は、主婦として生きる場合もあったりと様々です。
でも、結局は人助けに関係しているという事です。ある意味、お金がなくてもそれをやるのかどうか、ということにも似ています。
個人の哲学は万人に受け入れられることはない理由
そして結局のところ、使命とは哲学や美学にも関係しています。人は、それぞれが生きてきた人生の中から、色々なことを学んで体験して、成長していきます。
人によっては、机上で学び取っていくかもしれませんし、ある人は様々な人間関係を通して学びを得るのかもしれません。
または机上での学びと、自分で動き回る事で学びを得る人もいるでしょう。そこで得た知識、それまでの体験と自分の思考によって練り上げられて行く事で、独自の哲学、美学が出来上がっていきます。
そして、その哲学を通して自分を発信、表現して人助けをして行く事でもあります。でもその哲学は、ある人には受け入れられても、またある人には受けいれられる事はないのです。
なぜかといえば、その哲学が正しいかどうかは関係なく、当人の哲学が全ての人に受け入れられてしまえば、この地球は機動しなくなります。
例えば、矛盾がある世界に、矛盾はなくなりません。つまり、矛盾がある状態でなければ、”ある”ことができないという事です。つまり、真理であっても、そうでなくても、結局全ての人に受けられる事はないのです。
二元論で言えば、この世は陰陽の世界で、光と闇の世界です。つまり、平和を感じる人がいるとすれば、どこかで不安を感じる人がいます。
そして、本当の意味での平穏(無)とは、光と影を構成するそのもの自体が少なくなっていくと言う事です。
生まれ変わりがあってもなくても
結局、生まれ変わりがあるのかないのかというのは、永遠にわからない事なのかもしれません。確かめようがないからです。
でも結局、生まれ変わりがないとしても、徳を積み業を作らない生き方というのは、ある意味保守的であり、もし生まれ変わりがあるなら、人徳によってそれなりの輪廻に恵まれて行くはずです。
どのみち生まれ変わりがなくても、マイナスという事はありません。
平野をただ歩くのか、渓谷をいくのか、山脈をいくのか、その程度はさまざま
人の宿命とは実に様々です。
五行が偏った宿命もあれば、バランスの良い宿命もあって、中殺を持つ人もあれば、それが複雑に絡み合う宿命もあります。でも結局、季節(運気)によって人の人生は変化します。
傾きが少ない時もあれば、大きく上下に揺れることもあります。でもまた同じ場所に戻って、また上下に揺れて行く。
その繰り返しが人生であり、魂の望みを知りそれを達成する事は、輪廻の片側を脱する事になり、さらに達成した先にある悟りを知るまでは、魂の望みを再び追い続けるのでしょう。
幸福にも表裏があり、現実的な幸せと精神的な幸せです。しかし、算命学の真髄は、精神の幸福の稼働にあります。
現実の幸せを追ってから、精神の幸せを追うのか、精神の幸せを追いながら、必要な分の現実を手に入れるのかです。
ただ、現実の幸せを追っても、人生が終わるまでに精神の幸せまでも追求できるかどうかは、分かりません。


